劇団で研究生をしていた時に、講師からこんなお話しがありました。
「お城を作るだろ。完成しても、なんか違う時は一回ぶっ壊してみるんだよ。そっちの方が良いもの作れるんだよ。」
(ニュアンスや細かいことはうろ覚えです)
舞台公演では稽古期間があり、台本という設計図を元にお芝居を組み立てていきます。
シーンごとに話の流れを整理して、演出家や俳優の解釈や共通認識をし、立ち位置や見せたいポイントなどを作り、ブラッシュアップしていきます。
そして煮詰まってしまった時。また、仲間と意見がぶつかって進まないとき。
はたまた部品を忘れてました、ヒビが入ってます!なんて見落としてる箇所があった時。
そうしたとき、作り上げたものを壊します。
とりあえず仲良くしようと誤魔化したり、キズを隠そうと上塗りしたり、とりあえず乗り切ろうと応急処置をしたところで、本当に良いものにはなりませんし、バレます。
正確に言うと、お客さんはその事象を分からなくても違う形で感じます。「面白くない」「つまらない」
(見る対象が違っていると、気づかないことはあり得ます。)
完璧でなくても上手だけをやる必要は無くとも、まず嘘なく自信を持って精一杯やれるものを提示できるのか。
それと同じことが、自分自身にも言えます。
自分が言いたいことが10あるとして、実際に口に出せるのは1か2であることに気がつきました。
嫌われたくないから、認めてもらいたいから、好かれたいから、褒められたいから…
本当は嫌だけど、主張すると批判否定をされ苦しいから相手に合わせてしまう。
口に出すと、不快にさせて嫌われる、怒って自分の境遇が悪くなる…
本当のことでも、当たり障りのない部分を掻い摘む。
自分の言いたいことを我慢して、相手にとって良い部分だけを口にする1か2。
自分を誤魔化し続けるのは、自分のためにやめようと思えました。
セリフの人物だったらどうなんだろう?
悪口でも罵倒でも自分の気持ちを相手に伝えようとできる、だから演劇が好きなのかもしれない。
ずっと前に組み立てた自分のまま、環境は常に変化していくのに、応急処置や見ないフリで不格好なつぎはぎだらけのハウルの城みたいになっていました。
頑張らないことを念頭に置いてひと月、本当はすでに壊れていたことに気がつきました。
振り返ってみれば、色々な人から「頑張りすぎ」など同じ本質を突く指摘をもらっていました。
…これさえも私の解釈違いや都合の良いように見ているのかもしれません。
その時は本当に分からなかったのですが、今はわかります。
私が組み立てたものが欠陥だらけであることを直視できなかったのです。
壊して、作る。
とてもお世話になっていた大切にしたい人との関係を壊す選択をしました。
恩を仇で返すような、ひどい女であると思っているでしょう。
今の私は、教えてもらったものや影響を受けた多くで構成されています。
壊しても忘れようがありません。
私が歩けるようになったら、また声をかけようと決めています。
そして、演劇を続けて好きな監督の作品に出ることに加え、社会福祉士の資格を持ち、人の役に立つ仕事をする目標ができました。
誰にも言えない頼れない頑張ることしかできない、私のような心身孤独な人に寄り添う仕事がしたいと。
改めまして、よろしくお願いします。